ADHDとブラック企業 ①
私が「自分はADHDかもしれない」と思ったのは、今のブラック企業のいっこまえのブラック企業にいたときのことでした。
今のブラック企業のいっこまえのブラック企業
その会社は店舗内装屋とかいう仕事をしていて、要するにおおざっぱに言うと新しいお店をデザインして建てる、というお仕事でした。
その会社に入る前はハルオサンと同じくいわゆる「労働マルチ」のブラック企業にいました。「労働マルチ」には約4ヶ月在籍していましたが、はっきり言って全くと言っていいほど売れず、一家4人と一匹がマジで路頭に迷う寸前状態でした。そんな時声をかけてくれたのが、店舗内装ブラック企業の社長、川下氏(仮名)でした。
私は東京生まれヒップホップ育ちなのですが、実は義理の弟(12歳年上)が地方都市でアパレルショップを10店舗ほど経営するまあまあな社長でして、川下氏はその義理の弟のアパレルショップの内装工事を請け負っていたのです。
そして義理の弟のFacebookからイラストレーターの私の存在を知り、自らの店舗内装の仕事に利用できないかということで、義理の弟を通してコンタクトを謀ってきたのでした。
結論から言うと、川下氏のこの計略は見事にはまり、前述のように路頭に迷う寸前だった私はまんまと川下氏の会社に入ってしまったのです。
川下氏は簡単に言うと「ヤカラ」です。風貌は北斗の拳のやられ雑魚キャラです。
この店舗内装ブラック企業はまさに超絶ブラック企業でした。手取り16万で週休1日、朝9時出勤の帰るのは日付変わってから。残業代、代休、ボーナス一切なし。朝から出てそのまま夜間工事で早朝6時まで、そして昼から出勤で以下ループ、なんてのもザラでした。
そしてこの会社の最悪なところは、川下氏が終日ご機嫌ななめなところです。
この店舗内装ブラック企業には8ヶ月勤めましたが、だいたい延べにして7ヶ月ほどは怒鳴られていました。
おまえはクソだ、なにもわかってない、給料減らすぞ、等毎日クソミソに怒られていました。私はそんな川下氏の怒号を全て受け止めて、入社2ヶ月ほど経った頃には「おれってなんてダメなヤツ」と本気で思うほどにマインドコントロールされてました。あんまり川下氏が人格否定、人生否定してくるので、「もしかしたらおれってなんか障害かなんかかも」と思うようになりました。
結果的にはこれが功を奏すことのなるのですが。
私はグーグル先生に尋ねました。
「言ってることが理解できない」
「思い込みが激しい」
「固定観念が強い」
「場の空気が読めない」
など川下氏に指摘された事項を全て聞いてみました。
そこで最も自分にぴったり当てはまったのが「大人のADHD」です。
クラスに絶対ひとり以上いた「アイツ」
ADHDとは「注意欠陥/多動性障害」のことで、簡単に言うと、クラスに必ず一人はいる、いわゆる「落ち着きがないアイツ」です。
じっとしていられない、先生の話を全然聞いてない、いつも忘れ物をする、テストの点が悪い、アイツです。
私は学生時代、ずっと優等生でした。自分で言うか?と突っ込まれそうですが、これは自慢ではなくむしろ自虐です。水泳部では部長だし、クラスでは学級委員、成績もトップクラスでした。落ち着きがなく、先生の話も聞けず、成績も悪い、というアイツの真逆に位置していました。
しかし、グーグル先生の答えは「大人のADHDです。グーグル先生信者では全然ないですが、それぞれのサイトの内容を読むと完全に一致です。
私はそれがわかった時、本当に安心しました。ストンと腑に落ちた、という感覚です。
簡単に言うと「おれのせいじゃない、障害のせいだ」と思えたのです。責任転嫁できたんですね。
こうやって自分を正当化しやすいのもADHDの特徴のひとつだと思います。
障害と病気は違う
私は左耳の聴力がありません。平たく言うと、左耳が全く聴こえません。これは完全に「障害」です。
病気や怪我のように「適切な処置をすれば完治、もしくは改善する」類のモノではないのです。
同じように、自分が川下氏から受ける欠点指摘は治ったり改善したりするものではなかったのです。
つまり、川下氏が叱責する私の欠点は絶対に治らない「障害」だったのです。
この事実は私を相当楽にしました。肉体的・物理的にも40を過ぎ、だいぶしんどかったのですが、もっとしんどかったのは「自分がダメな人間の方に分類される」ということでした。こうしてブログに書いて自慢したところで大した人間だと評価されたりしないことは十分わかっていますが、それでも同じ会社の同僚として隣の席でPCいじってたら、現実のモノとして「こいつなかなかすげえな」と思っていただける能力はあります。あるつもりです。つーかマジビビるぜ。ビジネスマンとばかりにバリバリ仕事こなしていく有能さと、「え!おまえなんでそんなことできないの?」という、子供でもできるだろレベルのこなせなさっぷりに。そのギャップに。
大人のADHD=発達障害とは
大人のADHDの特徴として、
いわゆる「高学歴」「勉強できるタイプ」という特徴を持っている人が多いことがあげられます。
つまり今の学校教育のシステムの中では成績が優秀であるが故に見えづらくなる欠点に気付きにくいということです。
私の欠点として
・スケジュール管理ができない
・片付けができない
・マルチタスクをこなせない
・なんでも先送りにする
などいろいろなことを挙げられますが、そういうのは総じて学生生活ではあまり求められなかったような気がします。先送りの部分はまあ「試験前にならないと勉強しない」「夏休みの宿題を8月31日に手を付け始める」というアレですが、これは結構誰にでもあるあるではありますが。
学生生活において評価の基準となるのは、テストの結果と教師の言うことに従っているかどうかです。
なので、「なので」ってなんか他人のせいにしてるわけではないですが、そもそもがADHDという発達障害に気付きにくい環境ではあったわけです。特に私の場合は片耳聞こえないという障害コンボだったので、人の話を聞くときは話している人の顔をまっすぐに見て集中して話を聞かないと「何を言ってるのかわからない」という理解面でなく「どんな言葉を発してるのか聞き取れない」という音声面でとてつもないエネルギーを使うことを実践していたので、結果、状態として「人の話をずっと聞いていられない」といういわゆる「多動状態」を回避していくことになっていた、という側面もあり、気づきにくい素地があったのでは、と今にして分析してみると思います。
で、私は自分が発達障害である、いや病院で診断を受けたわけではないので、はっきりそうとは断言できないのですが、とにかく発達障害のケが強い、という事実に全く気付かないまま、むしろ「自分は有能だ」と完全に勘違いしておっさんにまで育った結果、40過ぎてからだいぶ痛い目みることになってしまったのです。
ごめんなさい、続きます。
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