イラストレーターになるために 【絵で食べていく生活 パート1】


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経済学部卒の元イラストレーターのむーです。

 

私は2003年から2015年までイラストレーターを職業にしていました。

今は訳あってマイルドなブラック企業で営業兼中間管理職として絶賛社畜中ですが、なんの因果でマッポの手先このような状態になってしまったのか、その根本原因であろうと思われる、自分の中で最も長く従事した職業、イラストレーター時代のことをお話したいと思います。

だいぶ昔の話なので思い出せないこと、また唐突に流れぶった切りで思い出すこともあるかと思いますが、とにかく書いていきます。

 

イラストレーターになろう

イラストレーターとして独立する直前、私は商品開発部でサラリーマンとして働いていました。成績はまあまあ優秀で、会社全体の売上予算の6割を担当していました。

しかし給与もボーナスも全然上がらないためついに辞めることを決心しました。

絵の仕事にかかわっていたため、絵描きさん(イラストレーターとかアーティストとかいろいろ)とずっと一緒に商品開発の仕事をしていました。

小学校時代にはいつも写生の絵を県大会に提出してもらっていたほど絵がうまかった私は、いつしか自分も絵を描いて食べていければなあ、なんて少しずつ思うようになっていたのです。

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現嫁との出会い

今の嫁さんはフリーランスのライターです。知り合ったのは私が商品開発部で働いていたその会社です。当時嫁さんは同じ会社で働いておりました。美人でした。井川遥にそっくりでした。

 

彼女は会社を辞めると言いました。

これからどうするの?と聞くと

 

「ライターになる」

 

と言い放ちました。

 

 

うっそ!なにそれ!

 

衝撃の告白です。

 

ライターとかそんな簡単になれんの?というのが私のその時の感想です。

 

そして私の人生はここから変わりはじめます。

 

おれもイラストレーターになる

私はその時彼女に勇気をもらいました。

 

やろうと思えばなんでもできるんだ、そう思ったのです。

 

こんな会社で給料も上がらないのに何年も社畜(当時そんな言葉はなかった)として結果として無駄に時間を過ごすよりも、やりたいことが見つかったのならそれをやってみるべきだ、そう強く思うようになったのです。

 

 

やらずに後悔するより、やって後悔したい

 

 

岬太郎のおやじさんの言葉が響きます。

 

そういや岬君のお父さんも絵描きでした。

 

そして私は彼女の生き方、彼女の選択に強く背中を押され会社を辞めました。

 

もちろん仕事なんかない

私はまず絵をいっぱい描いて出版社に片っ端から電話をかけました。

会ってくれる人には会いに行き、作品を送ってくれという人にはポートフォリオを送りました。

何件電話したかはもう覚えていませんが、昔のトップ営業マン時代より売り込みをかけました。

 

営業活動自体はサラリーマンで営業するより簡単でした。

なぜなら売り込むのは自分の絵だからです。

 

会社から与えられたなんだかわかんない商品を無理やり売り込むより、自分で描いた自分の思いを込めた作品を売り込む方がはるかに易しいことはあなたもわかると思います。

 

結果として角川書店から1件、集英社から2件の仕事をいただきました。

 

しかし単発です。

 

角川さんはまあまあお仕事を振ってくれましたが、それでもせいぜい3か月に一回くらいです。

 

ギャラは7万~10万くらい。これではもちろん生活できません。

 

 

でもうれしかった。

 

 

自分が描いた絵が印刷されて本になり、近くのコンビニや本屋さんに並んでいるのです。

 

これはやばいです。

この経験はなかなかできないです。

 

このままいけばおれ絶対有名人になる。街歩けない。やばい。どうしよう。

 

そんな妄想がアタマの中を駆け巡ります。

もちろん妄想です。ただの妄想です。

それくらいでは有名にはなりません。

 

ただこうして私のイラストレーター人生は幕を開けることとなったのです。

 

 

 

続きます。

 

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